「台湾で採れたシラスは、香港の〝立て場〟に運ばれ、そこから日本へ向けて輸出されます。立て場には日本のウナギ業界でもごく限られた人しか行ったことがありません。詳しい場所も開示されていない知る人ぞ知る施設です。あまり首を突っ込み過ぎると、東京湾に浮かびますよ」
取材に先立ち、ウナギ業界に詳しい人物からそう忠告を受けた。この人物だけでない。複数の人から同じような話を聞いた。
香港の中心部から車で走ること数十分。舗装もされていない道を進んでいくと、業界の最高機密施設とも呼べる「立て場」が突然目の前に現れた。よく見ると、いたるところに監視カメラが設置されている。門をくぐると番犬が吠えながら近寄ってきた。
本業は中国本土で賭博の胴元をしているというシラス問屋は「台湾からの密輸入などお安い御用だ。漁船で香港へ水揚げしたことにすればいいし、中国の港まで漁船で運び、(香港と隣接する)深圳(シンセン)から陸路で入ってもほぼノーチェック。航空機を使ったとしても、空港で働く税関の一部の人間と手を握ればよい。何が難しいんだい? この立て場からシラスは日本へ向かっていくんだよ」とお茶を飲みながら淡々と話す。
多くの日本人にとって、実は「立て場」は無縁の場所ではない。ウナギ好きであれば、立て場に一時保管されたウナギを口にしている可能は極めて高いからだ。
「国産のウナギしか食べたことがないから自分には関係ない」と考える方もいらっしゃることだろう。しかし、香港の立て場から日本へ送られたシラスは、養鰻池に入れられて出荷サイズになるまで育てられる。養殖ウナギは主たる養殖地が産地となる。つまり台湾から香港の立て場を経由したシラスはその後「国産ウナギ」として販売され、日本人に「国産だ」とありがたがられながら頬張られているのだ。
ウナギを生業(なりわい)にしている人であれば誰でも、シラス漁やその取り引きが裏社会と密接なかかわりをもっていることを知っている。昨年のWedge8月号で報じたように、日本国内では暴力団らによるシラスの密漁がはびこっており、輸出が禁じられている台湾からは、香港を経由して国内へ輸入されていることもまた、業界公然の秘密だ。
日本の水産庁にあたる、台湾の行政院農業委員会漁業署の黄鴻燕副署長は「香港への密輸があることは承知している。罰則強化を検討するなどしているが、取り締まりは容易ではない」と話す。
また、日本鰻輸入組合の森山喬司理事長に、台湾から香港を経由して、日本へシラスが入ってくる不透明な取り引きの実態について取材したところ、その事実を認めたうえで、「ただ、これは今に始まったことではない。台湾は07年からシラスの輸出を禁止したが、それ以前にも禁止していた時期がある。いわばずっと禁止状態で、同時に日本はずっと輸入している状態だ。今のところ、組合として台湾からのシラス輸入防止に向けて何らかの対策をうつつもりはない。香港からの輸入は日本政府も認めている」と話す。「台湾では日本よりシラスの漁期が早いことから、夏の〝土用の丑の日〟までに出荷サイズに育つシラスが多く、日本の養鰻業者にとってこのシラスはかなりありがたい存在」と続けた。
こうした状況に対して水産庁増殖推進部のウナギ担当者は「日本からすると、香港から輸入されるため密輸入とはいえないが、輸出を禁じている台湾からシラスが日本へ入ってくる仕組みはよくないとは思っている」と話す。
ウナギは、人工孵化(ふか)から育てた成魚が産卵し、その卵をもとに再び人工孵化を行う「完全養殖」の実用化技術が確立していない。つまり、天然の稚魚(シラス)を捕獲し、養殖の池に入れて育て、出荷するしか方法がない。
日本でウナギが大量消費される夏の「土用の丑の日」は例年7月下旬か8月上旬に訪れる。今年は7月30日だ。
シラスは一尾0・2グラムほどで、これを出荷サイズである200~250グラムほどにするには、天然の場合、環境にもよるが5年ほどかかる。一方、日本で一般的な養殖方法であるビニールハウスとボイラーを使って、水温を上げ、エサを与え続けて太らす方法だと、わずか6~7カ月ほどで出荷サイズにまで成長する。つまり、1月中旬までには養鰻池に入れなければ、その年の「土用の丑の日」の出荷には間に合わない。
日本のシラス漁最盛期は、年にもよる(シラスは、新月かつ大潮の日に海から川へ大量に遡上するため、そのタイミングで河口付近で採捕する)が、1月下旬~2月上旬が一般的である。シラスはマリアナ海溝で生まれて、黒潮にのってやってくるが、日本からみると黒潮の「上流」である台湾では、11月1日からシラス漁が解禁され、11、12月が最盛期となる。少しでも早くシラスが欲しい日本の養鰻業者が台湾のシラスに飛びついている、という構図だ。
シラスの価格は日々変動するが、土用の丑の日に間に合う時期のシラスを巡っては、数年前から1キロ300万円を超すことが常態化しており、これは銀の価格をもしのぐ。この高価格は考えてみたら当たり前だ。7月下旬の「土用の丑の日」に間に合わせるため、買う側である日本の養鰻業者はどうしてもシラスが欲しい。売る側はその足元を見て販売できるからだ。
また、高値でしかシラスが買えない状況をつくると、「購買力のある巨大な養鰻業者以外は購入できず、寡占化を進めることができる」(養鰻業者)という面もある。この影響は日本にとどまらない。「約10年前、台湾では1700社ほどの養鰻業者がいましたが、現在では1100社ほどに減っています。実際にウナギを取り扱っている企業となると、さらにその半分ほどです」(台湾区鰻魚発展基金会の郭瓊英元董事長)という。養鰻業者の数が減っている要因は他にもあるというが、なかでもシラス価格の高騰は大きな要因だという。
また、シラス価格の上昇は、最終的には消費者に価格転嫁される。特に「新仔(しんこ)」と呼ばれるシラスから半年ほどで出荷サイズに育てたウナギは人気があるため、価格転嫁しやすい。
だが、とある老舗ウナギ屋の店主は「日本の新仔幻想はくだらない。半年ほどで急に太らせた、いわば肥満児のウナギをありがたがって食べているだけ。正直ウナギのレベルとしては高くないので、ウチでは絶対に使わない。タダでもらっても使わない」と話す。
例年、土用の丑の日が近付けば、「今年もウナギ屋には行列ができています」「このスーパーではウナギが安値で購入できます」という食欲をそそる平和なニュースが流れる。だが、その舞台裏では魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する、ドロドロとした世界が広がる。
ウナギの問題は密漁や密輸入といった違法行為だけではない。日本人はこれまで世界のウナギを食い尽くしてきた。日本や台湾、中国、韓国など東アジアに生息しているニホンウナギは14年にIUCN(国際自然保護連合)によって、「近い将来における野生での絶滅の危険性が高い」とされる絶滅危惧IB類に指定された。
護岸工事や堰(せき)の設置などといった環境要因もあるとはいえ、これまでシラスを採れるだけ採ってきたことと無縁ではないだろう。
このニホンウナギだけでなく、ヨーロッパウナギ、ビカーラ種などもそれぞれ絶滅危惧IA類、準絶滅危惧に指定されているが、これも日本人の「ウナギ爆食」と無縁ではない。日本の商社が世界のウナギをかき集め、それを日本人が食べ続けることで、資源量を大幅に減らしてきたのだ。
また、ヨーロッパウナギに至っては、09年から野生動物の国際取り引きを規制するワシントン条約の附属書Ⅱにも指定され、許可なしには取り引きが禁止されている。また、EUは域外との商取り引きを全面的に禁止している。
だが、毎年外食店やスーパーでウナギを購入してDNA検査を行っている北里大学の吉永龍起准教授によると、今なおヨーロッパウナギを取り扱っている店があるという。EU域外国へ不法に出されたシラスが、香港を経由して、中国で養殖・加工され、日本へ輸入されているものとみられている。
DNA検査を実施すると、ヨーロッパウナギであることがすぐに判明することなどから、昨年から急激にヨーロッパウナギを取り扱う店舗は減少したが、未だに日本国内で販売されている。
ウナギの取材を始めると、次から次へと違法行為や不正、業界のコンプライアンス意識の低さなどが明らかになってくる。「今年も土用の丑の日がやってきました。おいしくウナギをいただきましょう」などと言っている場合ではない。
そもそも「土用の丑の日」にウナギを食すようになったきっかけについては諸説あるが、江戸時代に平賀源内が知り合いのウナギ屋から依頼されて、閑散期である夏に売り上げを伸ばすためにつくったキャッチコピーという説がよく知られている。
日本のシラス問屋、養鰻業者のみならず、絶滅危惧種を大量販売し続けるスーパーや外食店、資源問題には触れず土用の丑の日だからといって消費を煽るメディア、それぞれに責任はある。知らず知らずのうちにではあるが、残念ながら、消費者もこうした状況をつくりあげている一員である。
もし、平賀源内がこの世にいれば、こうした「惨状」を知るにつけ、「土用の丑の日」のキャッチコピーを取り下げるかもしれない。